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亡くなったおばあちゃんの事

亡くなったおばあちゃんの事

今回は漫画でも不思議でもなんでもない現実的な事を書きます。(他にも書いてたかも(^^;))

私が生きているただの現実世界のことです。

なんかふと書きたくなったのです。

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私の家庭事情

2021年になって1月の末頃に祖母が亡くなりました。

私にとっては生きていてくれた祖父母の中の最後の1人でした。

私には祖父母が3組いました。

お正月やお盆には家族でそれぞれ1日づつ祖父母の家に行くのが毎年の行事のようでした。

それは丸1日、合計3日が潰れるのです。

幼い頃はそれが普通だと思っていましたが3日も潰れるのが正直嫌でした。

小学生の頃くらいには普通は祖父母は2組だと知っていきました。

よく母には父の家系の事を聞かされていましたが当時はあまりしっかりと理解出来ていたわけではなかったです。

母も結婚してから聞かされた話らしく詳しく全てを知っていたわけではないようでした。

私の父は養子として育てられたという事をよく聞かされました。

私からすると、母の両親、父の育ての両親、父の実の両親、この3組がいました。

父が3歳くらいの頃に、今回1月に亡くなった祖母の家庭に引き取られ育てられたようでした。

そして、ずっと虐待を受けて育ったという事でした。

具体的にどんな虐待を受けたとかの内容はあまり知らないです。

父本人もほとんど話さないし触れたくない内容のようです。

母がフトした拍子に本人から聞いたり、当時の父を知る人が言っていた情報などぐらいです。

もともと私自身が昔から父と会話するのが苦手でした。

気軽になんでも話せるような雰囲気ではなくいつもバリアがあるかんじでした。

逆に母にはだいたいなんでも話しやすいのです。

母は常に本音で生きているような人ですが、父の性格は対照的に、自分の本音を誰にも言わない、常にどんなことも人に合わせ、ストレスはギャンブルやゲームで静かに発散しているような人です。

大人になってから振り返って気付くと、父は常にこの義理の親が非常に恐怖の対象なのか絶対的な服従をしているかのように見えました。

呼ばれたらどんな状況でもすぐに駆けつけるしなんでも言う事を聞くと言うかんじでした。

母と話す中で私が客観的に見て感じたのは、父にとって結婚は住む場所をその義理の親から離れるための手段だったようなかんじに思えました。

それでもやはり親が怖いのか本当は関わりたく無くても呼ばれたら直ぐに駆けつけられるように祖父母の家から近場の隣町の住所に家を建てたようです。

祖父母の当時の経済状況なども聞いているときっと家を出て一人暮らしも許されなかっただろうと察しました。

社会人になった時も給料を全部家に貢がされていたらしいです。

一般的に普通に両親から愛情を受けて育った母から見て、私の父はやはり変なところがあると言っていました。

私は幼い頃から親から叱られる時、わりと暴力を振るわれたり閉じ込められたり家から閉め出されたりなどちょっとした虐待を受けてきました。

小学生くらいになって友達と話す時にそう言うところが明確になりました。

私の友達はみんな親に叩かれた事すらないという子達でした。

当たり前だと思っていたことも家族以外の人の意見を聞いて初めて気付く事がたくさんありました。

暴力は意外と母から受けました。

母は結構ヒステリーな性格でした。

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私の父

たまに父から叱られる時にタバコの火を腕に押し当てられそうになった事がありましたが、その時は母が止めたので無事でした。

その時母は、何てことするん?!とか言ってけっこう驚いていました。(とか言って母から私はよくストレスのはけ口のようにもっと何倍も痛い暴力を振るわれていましたが)

父のそういう叱り方を見て母は、自分がそういう事されてきたん?と訊ねていました。

どうやら普通にそういう育て方をされていたらしいです。

人は育った環境や受けた事をその人の当たり前の事としてまた子供へ引き継ぐというか繰り返してしまうと聞いたこともあるので父もそういう事かと思ったこともあります。

母も親がいろいろ過激だったり過干渉だったと話していました。

母が私にいつも物凄く過干渉で実家で暮らしている間はずっとしんどかったのも、母は自分がそうされてきて嫌だったけど実際自分の子を持つと自分もそうなってしまうと言っていましたが、私には意味が分かりませんでした。

まだ子供を産んだことがないからこういう事が理解できないのでしょうか?

でも自分がされて嫌な事は特に大切な人には尚更絶対にしたくないと思ってしまいます。

実家で家族と暮らしていた時、母はいつも父や父の義理の親(私の祖父母)の悪口を言っていたので私は年々そういう見方になっていき毛嫌いしていた時期もありました。

これは洗脳だと今ならそう思えます。

父のようなギャンブル狂で金遣いが荒い人は絶対にダメだとか他にもいろんな悪い面ばかり見ていました。

祖父母も経済力が無いのに金遣いが荒く全く家庭的じゃない部分や祖母は買い物依存症のような状態で家の中は物だらけで常にゴミ屋敷のようでした。

でも社会人になってしばらくしてようやく実家から離れた時に親の見方がかなり変わりました。

男性と付き合うようになると特に父の見方が変わりました。

父のような人はダメだと勝手にジャッジして避けていたはずが、逆に父の良い面ばかりが見え始めました。

思えば父は私を叱る時に物理的に私に暴力を振るった事はありませんでした。

一番酷くて物を投げるくらいでした。

私は思い返せば幼少期から大人になっても異性から暴力を振るわれることが意外とよくあったので、虐待を受けて育った父からはそういう事をされていないということに気付いた時びっくりしました。

父は普段から物静かで、いつも自分の本音を押し殺して周りの人を優先するようなタイプで、どんな事をされていても人の悪口を言っているところをほぼ聞いたことがないくらい争いがあまり好きではないどちらかというと平和主義の人だと子供の頃から実は気付いていました。(私たち家族に対しては悪口や批判ばかりだけど(~_~;))

身体も弱い方でいつも何かしら不調を抱えているのに健康には無頓着でいつも薬漬けです。

子供の頃にゲーム(特にRPG)の素晴らしい世界を見せてくれたのも父だったし、映画やアニメの世界、絵の特技なども父から受け継いだと思います。

母からよく言われていましたが私は性格も結構父に似ているのです。

自分でも昔から思っていました。

わりとポジティブでハキハキ元気で社交的、アウトドア派でゲームや漫画などに全く興味が無いどころかバカにしてくる母とは真逆です。

だからか私はわりと子供の頃から不思議と父の考えてることや気持ちなど、我慢していることやどういう時に怒ったり安らいだりするとか大体分かっていました。

私は親とはしょっちゅう喧嘩しても言いたい事やかなり生意気な事もけっこう言いまくってきてそれは大人になると子供の時よりも遠慮なく言えるようになりました。

母はいつも、そういう態度が取れるのは実の親だからだと言います。

父は何歳になってもそういうことが一切できないようで可哀想と言っていました。

父の実の生みの親にもそういうことができなかったようです。

父の実の祖父母が生きていた時は毎年お正月くらいにしか行かなかったですが、私や母からすると実の祖父母の方が生活感があって温かい一般的な家庭で普通に愛情が溢れている印象でした。

それでも父の態度から察すると馴染みがないせいか実の親の方がもっと他人のような距離感で接している感じに見えました。

決して頼れないという感じでした。

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父の育った家庭事情

この実の祖父母が何故父を養子に出したのかは、後継を絶やさないという目的だったようです。

養子に出されたのは父の実の母の弟夫婦の家でした。

父からすると叔父の家庭という事でした。

父は3人兄弟で末っ子として生まれて男だった事と当時幼児だったから事情判断が出来ないだろうという理由で選ばれたらしいです。

実の祖母の弟の家庭は子供が出来なかったけど、どうしても後継を絶やしてはいけないという親の堅い意見があって半ば強制的な命令だったそうです。

母は結婚してから初めてこの実の親の存在を知らされて、それからこの実の祖母から事の経緯や当時の事や家系の事など色々聞かされたらしいです。

実の祖母は親の命令だったとしても結局父を養子に出してしまった事をずっと後悔していて罪悪感を背負って生きていたらしいです。

母は、この実の祖母の懺悔を聞いても、もし自分ならやはり自分が産んだ子を渡すなんて絶対に出来ないと私の前で批判していました。

私は子供の頃からこの後継で養子問題というのがなんてバカらしいんだと思っていました。

家系とかどうでも良いという考えの私や(私の家族みんなそんなかんじ)私には弟がいるのですが弟的にももはやこの家系は自分で絶えそうというかんじです(-_-;)

でも昔の時代はこういうのが普通だったのかな?と思うようにしていました。

私の中ではこういうのは戦国や江戸時代くらいのイメージだったので、その曽祖父がかなり古い考えの人だっただけという事もあるかもしれません。

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祖母について

父の育ての両親は子供が出来なかっただけでなく子供自体があまり好きではなかったとのことでした。

特に育ての祖母はそんな感じだったようです。

私が小さい頃からこの3組の祖父母の中で一番よく訪れる機会があったり見てきたのはこの父の育ての親である祖父母でした。

祖父は私が中1の時に病気で亡くなりました。

それから祖母にとっては長い独り暮らしが始まりました。

その当時祖母にとっていろんな経済事情が重なり祖母は私の家庭で同居する事も無く、一人で悠悠自適に暮らしているようでした。

祖父が亡くなってからの方が祖母はとても解放的になったように見え、祖母を知る周りの人もみんなそう言っていました。

そして今まで私達家族が知らなかったような新しい趣味を楽しむ一面や新しい人間交流が増えたり、また不思議と運よく新築一戸建の家に住める状況になったりと、祖母は去年末病院に入院するまでずっと長年無職ニート状態、お金も毎日湯水のように使える経済状態で人生を楽しんでいるようでした。

父は祖母が何か困って呼ばれた時だけ駆けつけるかんじでした。

祖母は元々片付けられない性格だったようで家の中はいつも物で散乱していました。

お金遣いもかなり荒いようでした。

祖父が亡くなってから住みだした新築の家も一瞬にしてゴミ屋敷になっていて、そういう性格が顕著に露呈し、改めて察した私達家族も余計に近づき難くなっていました。

そして私的にはどんどん悪いイメージの人になっていました。

そんなおばあちゃんのお通夜に1月末頃に行くことになった時の夜、私は父の実際はかなり複雑な家系についてまた改めて母に聞いてみました。

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祖母の生い立ち

昔、祖母は九州から嫁いできたようです。

私達家族がいるここは関西なのです。

昔はお見合いとか親の紹介とかそういう縁で結婚が多かったのでしょうか?

祖母もそういう事だったようです。

祖母と結婚した祖父は3人兄弟の中の一人息子だったようで、祖父の母は祖父達を産んでしばらくして若くして亡くなったそうです。

祖父の父は関西の中で今とはまた別の県の出身だったようですが、兄弟の中で自分だけが両親に嫌われたとかなんとかで結婚後今の土地に越してきたとのことです。

祖父の父は本妻が亡くなった後、偶然近所で働いていた女性と出逢い再婚したようです。

という事で祖父達はほとんど実の母親に育てられていないという事が分かりました。

そして、この再婚相手の女性は九州出身だったとのことで、祖父が結婚適齢期になった頃に、この女性の知り合いか何かの縁で祖母が九州からはるばる関西に嫁いでくる事になったようです。

結婚した祖母達は当時この親や兄弟達と同居暮らしの生活を強いられていたようです。

それも祖父の父は経済力が無かったのか親元を離れてこの地に来た頃からずっと狭い賃貸暮らしだったようで(その家が実は現在まで続いていた´д` ;)、それに耐えられなかったのか一度祖母達はその家を出て2人で暮らしていた時期もあったようですが結局引き戻されたらしいです。

祖母は九州出身なせいで、祖母の九州の親戚のある一人の人が後に父にとってかけがえのない人として登場しその人の家庭や親戚関係が現在にも縁として繋がっています。

しかしこの肝心の父の人生にとっての救世主的な先輩のようだった人は祖父が亡くなるのとほぼ数日違いで同時期に若くして病気で亡くなられました。

病院も病気も偶然にも同じでした。

人が亡くなる時期について、この時私の母は不自然なくらい不思議、やはり何か縁があるみたいだと言っていました。

今回改めて家系について聞いてみた時、祖父の家系と祖母の九州の家系の繋がりが養子の父には凄く強い縁で絡み合っているように感じました。

実際図にしないと理解できないくらい凄く複雑で、そして不思議なくらい偶然にしては出来過ぎているような縁の関係でした。

他にも、父の実の両親や兄弟の亡くなった月がみんな同じで日付もほぼ近いというのも不自然なくらい不思議な偶然だと母は言っていました。

こういうのをソウルファミリーとかソウルメイトとかっていうのかな?と思いました。

九州から来た祖母ですが、祖母自身もまた養女として育ったようです。

聞くと、父と同じ状態で、兄弟間で子供が出来ない家庭に引き渡された子だったそうです。

祖母の実の父は子供を8人授かって起業も大成功しかなり裕福な家庭を築いていたという事らしいですが、祖母が産まれたのは実の父がまだ結婚前で家政婦さんか誰かとの間に出来た子だったという事らしいです。

その女性が初め一人で育てようとしていたけど、実の父の兄弟で子供が授からない家庭に3人の養子が引き渡されそのうちの一人になったという事のようです。

祖母の兄弟はみんな血が繋がっていない赤の他人だったという事らしいです。

こういう昔の家系事情を聞くと凄く苦しくしんどくなりました。

まさに土の時代って感じの印象でした。

私はこの家系の話を聞いた後、一人頭の中で整理していました。

この話は全部人伝に伝えられたものだし実際の細かな部分や真実かどうかも分からない、祖母本人から聞いた事でもないのですが、この聞いた話だけで客観的に祖母について整理してみると、

祖母は子供の頃から実の親に育てられていない、

兄弟さえも他人、

育ての親の愛情は受けたのか?

見知らぬ遠い土地に嫁いでからも自分自身も子供を授からなくて自分と同じように夫の兄弟の子を養子として育てる事になる。

客観的に見た時、なんて皮肉な状況なんだろうと圧倒されました。

因みに祖母の兄弟の一人のお兄さんの事は仲が良かったのか祖母はよく九州に一人帰省していたとか、またこの方の家庭も子供を授からなかったとの事で奥さんが亡くなってから独りになったので祖母の住む近くに新築を買って引っ越されてきました。

しかしその後持病が引き金となって直ぐに亡くなられてしまいました。

この祖母のお兄さんが来た時期と亡くなられた時期が祖父が亡くなった頃の前後タイミングと絶妙に一致していて、祖母は結果的にこのお兄さんが残した資産や新築を受け継ぎ人生の後半を快適に暮らすことになりました。

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祖母に対する見方の変化

祖母が物を片付けられなかったり買い物をし過ぎて溜め込んでしまう性格なども、今ならやっと全て理解出来ました。

祖母は多分親から愛情を受けて育っていないのだろうと。

愛情など何か心の中で欠乏しているものがあると、代わりに物などを収集して身の周りに置いたりして精神を保ったりする事もあると聞いた事がありました。

父をもし虐待していたとしても、仕方ないと理解できました。

もう亡くなってしまってから気付いた事で遅すぎましたが、

そういえば祖母本人から独身時代の話や子供の頃の話など過去の事や生い立ちなど一度も聞いたことがありませんでした。

私も今まで大して祖母の過去とかが気にならなかったしそういう事を全く意識すらしたことがなかったのです。

祖母自身も過去とかは忘れたい部分なのかもしくは無意識に記憶から消し去ってしまっているのか、またわりとポジティブで未来の方しか見ていない人だったのか、今となってはもう分からないですが。

でもこのお通夜の日の夜、私は祖母の事を改めて知って、自分で勝手に想像してみて、初めてイメージが180°変わってしまいました。

母からの意見などですっかり悪いイメージを持って見るようになっていましたが、私が実際に現実に体験した記憶だけを振り返れば、祖母は父には酷い事をしていたのかもしれないですが、孫の私や弟は別に特に何も酷い事はされていないのです。

むしろ祖母なりの愛情でいろいろ可愛がってもらえていました。

だから私にとっては十分感謝に値するいいおばあちゃんでした。

祖父が亡くなってからの生活を送っている祖母は私から見て天国を体験しているように見える時もありました。

そういう一見自分勝手なような面しか見てなかったからますます良いイメージが無く気付かなかったけど、人生の前半はもしかしたら苦労や辛いことを経験していたのかなと、

でも後半に生きやすい自由を体験できていたなら本当に良かったと思えました。

もうすぐ四十九日なのです。

私の親は去年くらいから祖母の家の片付けに追われていて、またいろんな物が発掘されるのでいろんな意味で驚愕していました。

亡くなってしまったけど、私はおばあちゃんという人の事を想うことが出来て良かったです。

 

今回はかなりのパーソナルな内容になってしまいとてつもなく恥ずかしいことになりました。。。

でもせっかく書いたからアップします。

 

最後までお読みくださりどうもありがとうございました。

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